読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

計画停電の朝


計画停電の朝
Originally uploaded by abetomo

今日は朝6時20分から停電予定だったので、5時過ぎには起きて準備していた。そしたら、息子まで6時ちょい前に起きてきて、朝ご飯まで30分くらい時間ができてしまったので、テレビを消して絵本を読んであげることにした。

というわけで読んだのがこの3冊。トーマスの原作絵本なんて結構な長さなんだけど、全部読めてしまった!

計画停電のおかげで、思いがけなく静かで豊かな時間が持てた。普段の平日はなかなか絵本を読んであげる時間がないので、悪いことばかりじゃないなと思った朝だった。

まあ、結局今朝は停電しなかったんだけど。

地震の日のこと

3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きたとき、いつも通り会社で仕事をしていた。

「あれ、揺れてるね」と同僚たちと話しているうちにどんどん揺れが激しくなってきた。上の階から何かをひっくり返したようなガン!ガン!という音がしたり、建物全体がミシミシと異様な音を立てていて、ビルが崩れるんじゃないかと恐ろしかった。そんな中でも周りの人たちは意外と落ち着いているように見えたけど、私はもともと揺れや振動に過敏なタイプなので、いつまでも収まらない激しい揺れが怖くてギャーギャー騒いでいた。

とても長く感じたけど実際には2〜3分だっただろうか。私の会社は免震ビルの7階にあるため、ゆらゆらとよく揺れ、地震が収まった後もしばらく揺れていて、船酔いしたみたいに気持ち悪かった。しかも、ほっとしたところへまた余震。いつまでも揺れているような感じが続いた。実際、余震は何度も続いたんだけど、だんだん肩が凝ってきて「揺れるのって疲れるねえ」と同僚と話していた。

ちなみに私の上司はこのときエレベーターに乗っていたそうで、激しい縦揺れのあとこれまた激しい横揺れがきて、死ぬかと思ったそうだ。地下1階で非常停止して、ドアが開いたところで停電したとのこと。閉じ込められずに済んだのは幸いだったけど、その後エレベーターは動かないし非常階段も一時封鎖されていたため戻って来られず、しばらく行方不明として心配されていた(TwitterのDMで連絡が取れた)。

地震直後からすでに携帯の通話規制は始まっていたのかもしれないけど、私と夫、母はWILLCOMなので、余裕でつながった。こういうときWILLCOM最強。母はちょうど自宅の外にいたそうだけど無事だった。夫はちょうど電車に乗って出るところだったがすぐ停車して、ホームに降りたら何かに捕まらないと立っていられなかったそうだ。2人とはすぐ連絡がついたが、息子の保育園には最後まで電話がつながらなかった。震源地は東北地方ということが分かり、保育園と自宅のある地域はそれほど被害はないと予想はできたけど、連絡が取れないのは心配だった。


そのうち同僚が持っていたワンセグや上司が見つけたUstの映像、ラジオなどから情報が入ってきて、だんだん明らかになる被害状況に驚いた。でも、この時はまだこんなに大規模な災害になるとは実感がわかなかった。

会社のビル自体が避難地域に指定されているため、特に避難することなくとどまっていたけど、余震が何度も続くためもはや仕事にならなかった。電車も止まってしまったので、どうやって帰るかという話になりつつあった。定時1時間前の17時15分ごろ、電車は復旧しないだろうから帰れる人は帰ってよしということになった。夫からTwitterのDMで歩いて帰るという連絡があったのも同じ頃。とにかく帰って保育園に行かなければと思い、同じ方向の同僚と一緒に私も帰ることにした。17時半だった。

タクシーを拾って行けばという話もしていたけど、タクシーはもう捕まらないという情報がTwitterに出ていた。これはもう歩くしかないと腹をくくり、まずは皇居のお堀に沿った内堀通りに出た。同じように歩いて帰ろうとするスーツ姿の男性やパンプスにスカートのOLさんがたくさんいて、異様な光景だった。みんな一緒だと思うと安心して、この時はまだ私も同僚もちょっとしたウォーキング大会のような気分だった。こんな写真まで撮ってたし。
歩いて帰るなう。たくさん人が歩いてる!

なんとなく国道246を目指せば良いことは分かっていたけど、どうやってそこへ出るのかよく分からないので、iPhoneの地図を見ようとしたら、会社から離れるにつれまったくつながらなくなってしまった。そこで、こんなこともあろうかと普段持ち歩いていた「震災時帰宅支援マップ」のコピーを見ながら進んだ。以前、この本が流行ったときに、都心から自宅までの道をコピーして貼り合わせて作ったものなんだけど、まさか本当に役立つ日がくるとは思わなかった。でも、持っていて良かった!

桜田門を過ぎ、三宅坂までお堀沿いの道をひたすら歩くと246に出た。永田町付近にコンビニがあったので、ここでトイレ休憩。時間は19時15分ごろ。会社を出てからすでに2時間近い。私は水を、同僚Kさんは水とおにぎりを持ってきていたけど、このコンビニでチョコも買った。すでに日も暮れ、コートのフードをかぶらないと寒いくらい風が冷たく、おなかもすき始めていたので、久しぶりに食べた白いダースはとても美味しかった!

さて、246に出ただけで安心して達成感もあったけど、ここから先がものすごく長かった。標識には渋谷へ5kmと出ていた。赤坂見附付近を歩いているとき、夫から息子と無事会えたというメールがきた。かなり早足で歩いて2時間かかったとのこと。それでも19時半ごろなので、結局いつものお迎え時間と変わらない。息子を不安にさせずに済んでホッとした。

渋谷が近くなるにつれ、歩いて帰る人が増えてきた。この先は人が多くて何か食べることができないかもしれないと思い、外苑前付近で夕飯を食べることにした。松屋は混んでいる様子だったので、比較的すいていたフレッシュネスバーガーに入った。時間は20時過ぎ。すっかり体が冷えていたので、ジンジャーティーを飲んで温まった。

すでに足が痛くなっていたけど、食べたら少し元気になった。表参道まで来たところで銀座線が動いているという情報をキャッチしたので駅へ行ってみた。駅員さんに聞いてみたけど、半蔵門線の一部と銀座線が動いているのみで、東急線の下り方面は復旧のめどが立っていなかった。ひとまずひと駅だけ銀座線に乗って渋谷へ行った。

渋谷はカオスだった。銀座線を降りて宮益坂方面の出口を出てみると、東横線との連絡通路の階段の両脇に人が座っていたり、東横線改札前に大勢人が並んでいたり、駅構内にたくさんの人が座り込んで電車が動くのを待っていた。バスロータリーも、並ぶ人で大行列ができていた。時間は21時半ごろ。

渋谷駅を抜けて再び246へ出ると、車の渋滞ぶりが半端なかった。ほとんど進んでいない。渋谷からバスに乗る手も考えていたけど、あの行列とこの渋滞を見たら歩いたほうが早いと思った。同じように思ったのか、歩いている人もたくさんいた。すぐ近くの車道に車の列があり、人も多いせいか、永田町付近を歩いているときよりは不思議と暖かく感じた。この頃にはiPhoneがつながるようになったので、Kさんとリアルに会話しつつTL上のいろいろな人とも会話しながら進んだ。みんな心配してリプライやDMをくれてありがたかった。

池尻大橋あたりで、これはもう二子玉川まで歩ければ上出来じゃないかと思うほど足が痛くなっていた。途中のバス停で、行き先不明の東急バスが停まっていたので見に行ったら、すでにたくさん人が乗っていて「次のバスに乗ってください」と職員さんが言っていた。次のバスっていつ来るの??ということで、また歩いた。

三軒茶屋駅を過ぎたところでまたコンビニに寄ってトイレ休憩した。渋谷からここまで来る途中のコンビニはトイレ大行列で、とても入れなかった。ふとTwitterを見たら、電車の運行再開という夫のツイートを見つけた。携帯にもメールをくれた。ナイスアシスト。すぐに三茶の駅まで引き返し、首尾よくホームに並んだ。時間は22時55分ごろ。Kさんのダンナさんも会社の人に車で送ってもらって無事自宅に着いたという連絡があり、ほっとひと安心して電車を待った。

23時ごろ渋谷発の電車が来たけれど、すでに乗車率120%みたいな状態。これは絶対ムリムリ!と思って1本見送った。2本目になんとか乗り込み、ギュウギュウ詰めの圧力に耐えながら帰った。すでに足はパンパンだったし腰も痛くてたまらなかったけど、これ以上歩くのは無理だと思っていたので本当にラッキーだったと思う。

徐行運転だったので通常の倍くらいかかって最寄り駅に着き、家に着いたのは日付が変わる頃だった。着いた途端にまた余震があったり、神経過敏になっているせいもあって、この日はなかなか寝付けなかった。それでもお風呂に入り、2時には寝られた。

それにしても、まさか自分が帰宅難民になる日がくるとは思わなかった。よく、いざという時に備えて職場から歩いて帰る練習を、というけど、ぶっつけ本番で実践してしまった。それで分かったことは、歩けるのは三茶までが限界ということ。首都圏が震源地の場合は道の状態が悪い可能性もあるし、停電していたらこんな風に呑気に歩くことはできなかったかもしれない。子供を持つ親は、やはり職場と自宅・保育園(学校)が近ければ近いほど良いと改めて思った。いろいろと考えさせられる体験だった。

はたらくんジャー

残業して遅く帰ってきたら、こんな可笑しな絵本が家にあった。

家に帰ったら可笑しな絵本があった

ぼくは はたらくんジャー
はたらくんジャーは きょうも いく!
きょうは ロードローラー
はたらくんジャー!


タイトルは、そのまんま「はたらくんジャー」!この日、息子のお迎えのために家に来てくれていた母が買ってきてくれた絵本だった。

なんとかレンジャーのような名前の「はたらくんジャー」はショベルカーやら高所作業車やらロードローラーやらに乗って働く働く!なぜか作業車ばっかりだ。えらく働き者の現場作業者だ。でも…

はたらくんジャーは色々な作業車で働くんだけど、オチはこれ!

きょうは やすみ
はたらくんジャーは
はたらかないんジャー!
いえで のんびり するんジャー!


…爆笑!しかも休日の「はたらくんジャー」はちょっとふてぶてしい。
母は、昔から一風変わった絵本を見つけてくる人だった。私はそれを読んで育ったんだけど、息子もそうなるわけだな。いいのか悪いのか。

あんまり面白かったので、思わずレビューしてしまったじゃないか。

マイセン磁器の300年展

マイセン磁器の300年展ポスターサントリー美術館で開催中の「マイセン磁器の300年 壮大なる創造と進化」展を見てきました。

ザクセンの「アウグスト強王」の命令で磁器製作が始まった18世紀から順に、時代を追ってマイセン磁器が展示されていました。初期は中国磁器の模倣のような東洋風の絵柄か、無骨で地味ーな器が多かったのが、時代が進むにつれ浮き彫りが施されたり絵柄が細かく色が派手になったりと、技術が発達していくのがよく分かりました。中でも、磁器の表面に小花をいくつも貼り付けて装飾したティーポットは圧巻でした。

構成はこんな感じ。

第1章 西洋磁器の創成期
第2章 王の夢、貴族の雅
第3章 市民階級の台頭と万国博覧会
第4章 モダニズムの時代 アール・ヌーヴォーアール・デコ

初期は「セルビィス」という組食器(英字表記はServiceだった)が多かったのが印象的です。やはり王侯貴族の食卓を飾るために作られ、マイセン磁器を所有することがステータスみたいな時代だったんだろうなと思いました。熊の姿をしたカップなど変わった作品もあったのですが、来客時に出した歓迎杯と説明されていたことから、余興としておもてなしに使われていた様子が伺えます。でもちょっと悪趣味…しかも熊には見えなくて、他のお客さんが「どう見ても犬よね!」と言っていました。

一緒に見に行った母によると、「白い磁器は初期は乳白色なんだけど、後の時代になると土の性質が変わるのか、もっと白くなるのよね。絵柄はだんだん派手になっていくけど、時代が進むとまたシンプルな白い磁器に戻っていくの。人間の趣味というか歴史って繰り返すのね。面白いわねえ」とのこと。その解説通り、確かに最後の方には白地に赤いシンプルな絵柄の食器や、白い無地の壺が展示されていました。

個人的には、ゴテゴテした装飾(スノーボール)よりも、白地に青い絵柄(ブルー・オニオン)や白磁のようなシンプルなデザインのほうが好みですが、金銀の食器しかなかった時代の西洋人が「柿右衛門」などを見たら、そりゃあもう憧れただろうし、どんどん派手になっていったのも分かる気がします。

開催は3月6日までなので、ご興味ある方はお早めに。

ナナンの近況、そして心境の変化?

はい、ナナンの近況です。去年の秋から最近までのナナンの写真を集めてみました。・・・見事に寝てばかり!

象に顔をうずめて寝る猫

アイロン台の上で寝る

にゃはーん


推定9歳、今年で10歳になりますからね、そろそろおばちゃん猫からおばあちゃん猫に移り変わる時期なんでしょうか。ねこじゃらしなどのオモチャを見せると、遊ぶことは遊びますが、あまり長くは続きません。そしてすぐ寝ます。

日なたで眠る猫が

仲良し

そうそう、この1〜2年ばかり、明らかな変化がありました。ノラ出身で警戒心が強く、知らない人がくるとすぐ隠れてしまう猫だったのに、人が訪ねてきても逃げなくなりました。それどころか、自ら寄ってきて匂いをかいだりします!業者さんにさえフレンドリーです。

布団の上

そんなところに寝なくても

あと、掃除機をあまり怖がらなくなりました。以前なら、その姿を見ただけで逃げ出していたのに、今じゃ本当に近くまで掃除機が迫ってくるまで寝ています。

早くゴハンくれにゃ!と思っている時の顔

膝でぬくぬく

ひなたぼっこにゃー

家の中ならそれほど怖くないことをようやく学習したのか、それとも単に年取って機敏に動くのが面倒になったのか。年を取ると変わるのは、猫も同じですね。面白いなあ。

毛づくろいにゃー

なぜかオモチャのバイクを前にして

なでられ中

息子の記憶に残る年まで、まだまだ長生きしてほしいものですにゃ!

息子(と夫の)LEGO作品

前回も書いたように、息子はアニメで飛行機を見たり、出かけた先で電車を見てインスピレーションを得てはLEGOで乗り物を作るという遊びをしています。自分1人で作るものもあれば、父親の手を借りてスゴイものを作ったりもします(親バカ)。

そんな息子(と夫)のLEGO作品集です。初期の2歳時代に作った線路の写真が見つからないので、3歳前後から。

まずは息子1人で作った車。

息子の新作。今度は車らしい。

続いて飛行機。

息子作 赤い飛行機と青い飛行機。よく1人で空中戦やってます。

紅の豚」に出てくるポルコの赤い飛行機と、ライバル・カーチスの飛行機がモデル。カーチスのは本当は黒なんだけど。これも息子1人で作ってます。そして、この2台を両手に持って一人空中戦をよくやってます。


ハウルの動く城」を初めて観たその日に、「お父さん、おうちつくろっか」と言って作った父子合作の家。

「ハウルの動く城」を見た息子が、父と一緒に作った家

これまでずっと乗り物か線路しか作っていなかったのに、家を作ろうという発想に「そこか!」と驚きました(親バカ)。まあ、作ったのはほとんど夫ですが。

これは、ゆりかもめの線路と車両。

父子合作 ゆりかもめの線路と車輌。わかりにくいけど、車輌にはタイヤが付いてます。

お台場に行って、ゆりかもめに乗った翌日に作りました。これもほとんど夫が作ったのですが…。写真だとわかりにくいけど、線路の上に電車が乗っていて、車体にはタイヤが付いています。今までに作ったLEGO電車にはタイヤがなかったのに、息子自ら「タイヤを付ける」と言ったとか。

これは息子1人で作った車と駐車場。ちゃんと白い柵を持ち上げてから発車させていました。

息子によると、これは駐車場なんだって

最後に、息子と夫の最新作の家。

息子と夫の新作。中途半端な車庫付き。

こっちはデュプロで作っています。中途半端な大きさの車庫付き。将来、息子が本物の家を作ってくれたらいいのに!

オタク化する3歳児


オタク化する3歳児
Originally uploaded by abetomo

2歳からジブリ作品などのアニメを見始めた息子。トトロに始まり、ポニョ、ラピュタ、紅の舞台、カリオストロの城銀河鉄道999機関車トーマス…と、次々見ては気に入り、毎日何かしらの映像を見ています。

やっぱり男の子なので乗り物が出てくるものが好きらしく、紅の豚を見てはレゴで飛行機を作って空中戦のマネをしたり、999を見ては電車のオモチャを長く連結して空を飛ばせたり、ラピュタカリオストロの城に出てくるカーチェイスシーンに「はやいはやい!」と言って興奮し、車のオモチャでマネをしたりします。

台詞もマネして言ったり、ストーリーを親に教えてくれたりもします。「クラリス、『おじさま』って言ったよ」「まてルパーン」「やめろー!(鉄郎の台詞?)」「やすいしごとはしないぜ」「この人、ミスターカーチスっていうんだよ、お母さん」等々。

保育園では、担任の先生がおさげ髪をしていた時に「せんせい、シータみたいね」と言ったとか。「でも2323くんは『さつきちゃんが好き』だそうです」と先生。

私にも、「お母さん、クラリスみたいね」と言っていました。が、いつのまにか 「お母さん、鉄郎みたいね」と言うように…。オイこら!

あと、歌うのが好きな子なので、もちろん主題歌も歌うようになりました。ポニョやトトロの歌はやはり覚えやすいし歌いやすいみたいだけど、999のテレビシリーズの主題歌も歌詞テキトーながらよく歌ってます。さらに、紅の豚のエンディングの歌を歌おうとするのはかなり渋いです。

というわけで、確実にオタク化の道を歩いている息子。そんな3歳児どうよ?と言うと、たいていの人が「将来楽しみだ」と言ってくれるのが幸いですが…。どうせなら、目指せクリエイター!?